50過ぎてもやめられない

   とうとう還暦。 そしてバスケにハマる日々。     1人残されたじじの介護も。 あと愚痴吐き毒吐き。

写真

4日ぶりにじじ詣でてきました

電話はしてたけど
火葬の日から行ってなかった

今日はばばちゃんの写真をもらってきた

施設で撮ったのばかりで
ピンで写っているのが少なかったけど
取り敢えず2枚ほど

写真飾るとか言う習慣ないからのう
写真立ても買ってこなきゃ

今回のばばちゃんの直葬
改めて自分が世間からかけ離れている感覚持ち
と言うことを自覚したわ

死んでしまったら無
と言うのは昔から変わらない感覚で
亡くなったのちにも魂があるとか
あんまり納得できないのが正直なところ

葬儀後の法要とか
まったく不必要と思うので
ばばちゃんのもスルー

じじも同意見

ってかこの両親から生まれて育てられてるから
こう言った感覚なのか(゚∀゚)

戦前生まれにしては
両親ともに
葬儀に大金かける必要はない
とか
そもそも葬儀はいらない
とか
延命治療は一切拒否する
とか

そんな風に聞かされて育ったので
それがふつーと言うかアタリマエと言うか

ある程度の年齢になって
あれ…あれれれ(@_@;)
みたいな(~_~;)

実は写真も不要と断ったので
仏壇には普通のポートレートしかありません

白木の位牌??みたいなのはさすがに頼んだけど
考えたら火葬場に行く霊柩車に乗るとき
同乗する者が(じじですが)持ったりするんだね

そして骨壺抱えて帰ってくるときは
写真も一緒…と言うのが普通なのか??

でもポートレートのばばちゃんはすごくいい顔してて
これで十分
と思って今日はじじんとこから帰ってきた

後悔はなにひとつない

それにしてもばばちゃん
じじにも私にも
夢に出てきてくれないわー

いつ出てきてくれるんかなー