50過ぎてもやめられない

   とうとう還暦。 そしてバスケにハマる日々。     1人残されたじじの介護も。 あと愚痴吐き毒吐き。

吐き出し(暗い話)

昨日夕方にじじから電話

こんな時間に電話がかかるなんて
いい話であるはずがないんだな

TDRから帰ってきた翌日曜日

恒例のじじ生存確認電話の際
従弟が亡くなった由の電話が
従弟の奥さんからあった、と

母方の叔母の長男で
私より2、3下の子で
ちっさい頃から身体が弱く
入院もしていたりでお見舞いに行った記憶も

この叔母が脳腫瘍で40代前半で亡くなっているが
10年くらいの闘病生活のあいだ
入院中は一緒に暮らしていたりもした

そんな従弟だけど
叔母亡き後は付き合いは殆どなかったのよ私は

じじんとこには金の無心にくるくらい

じじは
「返さんでええから」
と何度か3万から5万程度のお金を渡していたみたい

じじがこっちに来てからは
年賀状程度の付き合い

奥さんはどんな人かも知らない

そんなんで
もう香典もどうしたもんかのう
って話してたら
昨日再び奥さんから電話があったらしく
死因は自死でした、と

上記の電話はその件

じじが言うには
たぶんお金のことがあるので
ふたたび電話してきたんだろう、と

まぁ死亡の知らせをしたのに
香典も届かんから、ってことかな

実は無くなる3週間くらい前に
従弟からじじに
20万円貸してくれ
との無心の電話があって
それを断っていると言う経緯がある

でも借金は繰り返すから
いまここで断っておかないと
と言うのがじじの考え

まぁ私も賛同はする

「おじさん(じじ)にだけは知らせてくれ」
(もううち以外知らせる親戚もないと思われ)
とのことで奥さんから最初の訃報があったワケですが
病死だと勝手に解釈してた私たち

でも多少の違和感があったのは否めない
自死の話を聞いてあぁなるほど、と

私はふつーに生きてきて
いまもふつーに暮らし
トクベツ恵まれているワケではないけれど
それなりの幸福感もあって
いろいろあるけれども自分の人生に
納得もして満足もしている

従弟と言う取り敢えずは血の繋がりのある人たちの
あんまり幸福な人生ではなさげな
そんな話をきかされるとくらーい気分になるね

自分の生活がアタリマエ
と思って過ごしているけど
従弟たちのことを考えたら
いろんな方向に感謝しないといけないと
改めて考えさせられる出来事でした